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越後伝統亀田縞

しっかりと作りこまれた生地でお洋服を作ってみませんか。
越後伝統織物 亀田縞 (太茶ねず)入荷しました。
越後伝統亀田縞_b0125868_753331.jpg

ちょっと長くなりますが亀田縞についてです。
明治から大正にかけて最盛期を迎えた亀田縞
木綿織物 「亀田縞」の起源は、亀田地区の歴史年表によると、
元禄九年(1696年)「この頃、木綿縞(のちの亀田縞)が生産開始」
これに従うと310年の歴史ということになります。
亀田卿の農民たちが水と泥に強い綿織物を求めて自作しいたのが始まりで、
その機能に加えて独自の縞模様が評判となりました。
明治に入ると農家の副業では納まらず、織物業として工場生産に変わり、
「亀田縞」は織物職人の手によって全国的に広がっていきました。
最盛期は明治末期から大正にかけて。
大々的に機織り女工の募集が行われ、亀田地区は織物の街として発展を続けました。
「織姫たちが集まれば若い男衆の血も騒ぐ」そのにぎわいの様は亀田甚句にも歌われるほどでした。
大正の末期には亀田地区に六百を超える織物業者が存在していたほどです。
この右肩上がりの勢いに水をさしたのが戦争、軍服の指定生産が始まって
生産高は大幅にダウンし織物業の三分の一が転廃業しました。
戦後、機械化が進み、全体の生産高は上がりましたが、織物業者の廃業は止まらず、
この頃になると「亀田縞」は役目を終えたかのように姿を消してきました。
そして一九八五年のプラザ合意。外国から安い生地が大量に輸入されるようになり、
残った業者も次々と廃業に追い込まれてゆき、現在は二軒を残すだけとなってしまいました。
一旦は途絶えた亀田縞を、忠実に再現できる機元は二軒を残すだけとなってしまいました。

現在の亀田縞は広島県でインディゴ染めされた糸を縦糸に使い織り上げています。
世の中とってもたくさんのお洋服がありますが、
SORAでは生地の背景を知り、しっかりとした信念で織りあげられた生地でお洋服を作りたい。。。
日本中の方に知って頂きたいという思いで
この二軒の機元のうちの一軒、中林さんの織り上げる亀田縞をお届しています。

ご来店お待ちしています。
SORA(服地ショップ)
http://www7.plala.or.jp/sora/

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by a_deko | 2011-02-26 08:36
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